東日本大震災の大津波で全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校。学校管理下におけるこの大惨事は先生や学校側に落ち度があったとして児童の遺族19家族が市と県を相手に総額23億円の損害賠償請求を起こしていました。平成28年10月26日に訴訟の判決が行われ仙台地裁は学校側の過失を一部認めて14億2600万円程の損害賠償を命じました。

地震は天災でありながらも、当時の事は現場にいた人にしか分かりませんが結果は学校側に責任が一部あったというです。内容は良く分かりませんね。

一方、児童108人誰も欠けないように点呼し、学校は安全対策をよくやっていたという証言もあるようですし、遺族の中には訴えを起こさない家族もあったようです。ここにいた先生も亡くなっている事から学校に落ち度が果たしてあったのか?という事が注目すべき点でしたが、裏山に避難できる場所が近くにあるにも関わらず避難させていなかった事がやはり責任があると判断されたのかと思われます。

ただし、この大川小学校は市のハザードマップでは、避難所として利用可としてたようです。つまり市は大川小学校を津波がこない場所と指定していたので、学校、先生は生徒を学校から離れるのは逆に危険と判断しその場に止めてしまったのだろうと考えられます。

訴訟を起こしたご家族の請求を全て受け入れられなかったのも、それだけ東日本大震災は想定を超える地震だったのだと言えると思います。

それにしても、訴えを起こさなかった遺族の皆様はどう思った事でしょうか?訴訟を起こした者だけが損害賠償を受けられるというのもいかがなものでしょうか?震災の被災者となってしまった遺族への補償があるならば、訴えを起こした人だけでなく平等にすべきと思います。

大川小学校に実際に訪れてみたときの感想

大川小学校
同業の仲間たちと一緒に訪れてみた大川小学校跡地の石巻市震災遺構 大川震災伝承館を見た時の私の感想です。
 
この被災地を見たとき、子供たちはどんなに怖かっただろうか?何故裏山に避難をしなかったのか?と様々な事を想像させられました。
 
大川小学校では全校児童の108人のうち74人が亡くなってしまったのですが、大人達が守ってあげていればこんなに多くの子供達が亡くならなかったのでは?と思うと涙が止まらなくなります。しかし東日本大震災は大人の予測を超える想定外の地震だったのです。
 
地震には海溝型地震と内陸型地震があり、東日本大震災は海溝型地震で、日本で起きた過去最大のマグニチュード9.0を記録したかつてない大震災だったのですが、そんな地震が来たら震源地の近い地域では普段なら普通に出来ている避難訓練もこの時ばかりはパニックになり大混乱してしまったことが予測されます。自分もこの時、この場所にいたらあたふたしていたかも知れない。
 
尚、被災前の宮城県の過去の津波事例から作成されたハザードマップには大川小学校は津波の想定外の地域、つまり過去の地震程度なら浸水しない地域となっていました。まさに東日本大震災はその予測を超える想定外の大きさだったと言えます。
 
これから大切なことは大地震が来てからその時に行動を考えるのではなく、来る前から考えておく事が重要なのだと思います。それと被災を経験した人たちには後世に語り伝えて欲しい。大川小学校で生き延びた子供が大人になった今、あの時に何が起きていたのか話してくださればと思います。
たった一度の大震災は今まで幸せだった生活を一変させます。そしてまた今後30年以内に発生する確率が70から80%に巨大な南海トラフ地震がくる可能性があるのだと言うことを考えておくべきでしょう。
 
この時の事例を学び、同じ歴史を繰り返さないように。

2011年3月11日は東日本大震災が起きた日です

3月11日は何の日でしょう?あれ?と何年も経つと忘れてしまう人もいるのでは無いかと存じます。私は保険に関する仕事をしていますので「東日本大震災」は忘れることがありません。保険代理店をはじめてから、かつて経験のした事がない大地震だったからです。千葉県でもあまりの強い揺れではあるものの、震源地は東北沖だと気がついた時にはこれは日本に相当な被害が出てしまいそうだと直感した事を思い出します。

弊社の契約者でもこんな声を聞きました。

  • 営業中の運転中に津波が来てあれよあれよと迫ってくるので、車を置いて走って逃げました。その後、車は津波で廃車となった。
  • 土地が隆起し、地下水が溢れ出し、家がかなりの角度に傾き全損となった。
  • 家屋の柱がずれてしまい、家財は散乱。死を覚悟し危険な目にあった。
  • ハウスメーカーは他のメーカーより地震に強い家ということで購入したが、自宅はかなりの被害となってしまいました。

私の町内会では震災後に皆で声を掛け合い無事を確認しました。震災当日、近所の人と今やるべき事やこれからの事について良く会話した記憶があります。普段からご近所さんとのお付き合いは大切なんだと感じさせられた事もありました。

東日本大震災が起きた後に気がつかされた事がいくつかあります。特に地震保険に加入していないお客さんは

これらの教訓を生かしお客様へ伝えていくのも自分の役割なのだと思います。